松井稼頭央 メジャー成績を振り返る

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西武ライオンズにドラフトで3位指名され入団。

高校時代は投手として活躍していましたが野手でデビュー。「トリプルスリー」( 打率3割・30本塁打・30盗塁)を達成し、遊撃手としてゴールデングラブ賞を4回受賞した走・攻・守、全てを兼ね備えた選手でした。

当時の姿を知っている人なら皆、史上最高のショートだと口を揃えると思います。

日本人初の内野手メジャーリーガーとして活躍した松井稼頭央選手のメジャー時代を振り返ります。

2004年 メジャー1年目 ニューヨーク・メッツ

2003年11月17日にメジャー挑戦を表明、 FA権を行使した。

12月10日にニューヨーク・メッツと3年2010万ドル+出来高で契約。

背番号は7を希望するがホセ・レイエスが着けていたため断念。

球団からは5番と25番を提示され、「足して7になる」という理由で25を選択。契約にはニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・ドジャース、アナハイム・エンゼルスを除くチームへのトレード拒否権が盛り込まれていた。

2004年2月29日、守備練習中に右手中指のつめの部分を負傷し、オープン戦初戦に出場できなくなった。

3月8日にオープン戦初出場。けがをした右手中指の影響でまだ守備にはつけないため1番指名打者として出場した。15日には初めて遊撃の守備に就き守備力を高く評価されたが、29日には右手首を痛めて試合に欠場。

オープン戦では打率.192と不振に陥った。

開幕戦である4月6日のアトランタ・ブレーブス戦で、前年度に21勝を挙げたラス・オルティスからメジャー史上初となる開幕戦新人の初球初打席本塁打を記録した。

4月までで打率.256、2本塁打、OPS.758、1盗塁

5月のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦ではランディ・ジョンソンから本塁打を放つなど、5月までで打率.265、5本塁打、OPS.783、6盗塁

しかし6月には月間打率.223を記録するなど不振に陥り、6月25日のシンシナティ・レッズ戦に欠場し、西武時代から続いていた連続試合出場が1213試合でストップした。

しかしながら7月には2日のニューヨーク・ヤンキース戦(サブウェイ・シリーズ)で2本塁打を放つ活躍を見せ、同月29日までで月間打率.339、OPS.904を記録していたが、7月30日のブレーブス戦で二塁カバーに入った際に激しいスライディングを受け、左足脛を負傷する。

その後も強行出場を続けていたが痛みが引かず、8月4日のミルウォーキー・ブルワーズ戦に欠場。7日のセントルイス・カージナルス戦で2番・遊撃でスタメン復帰し2安打を放ち、8日から3番に座ったが、11日に腰痛で欠場。15日まで5試合連続で欠場し、16日には故障者リスト入りとなる。

8月以降は合計12試合にしか出場できず、最終的にシーズン全162試合中114試合にしか出場できなかった。

シーズン通算では1年目から規定打席をクリアしチーム最多となる125安打、32二塁打、2三塁打を放った一方、打率.272、7本塁打、OPS.727、14盗塁とやや物足りない成績に終わった。

オールスター前までに7本塁打12盗塁を記録していたのに対しオールスター明けは故障もあり本塁打は記録できず、盗塁も2盗塁に終わった。

一方で比較的投手有利の球場として知られるシェイ・スタジアムを本拠地としながらもホームでの成績が打率.274OPS.731とアウェイ時をやや上回る成績を残した。

遊撃守備については失策数の多さが目立った。最終3試合は二塁手として出場している。失策数の多さに関して球団側は松井が捕手のサインがしっかり読み取れず球種を把握できていないことと関係があると判断し、松井に眼鏡の着用を要請したこともあった。

失策数の多さはファーストを守った元捕手のマイク・ピアッツァの拙守や、守り辛いと言われる本拠地シェイ・スタジアムの内野グラウンド、メッツ内野陣全体の連繋のまずさなども背景として存在した。(このシーズンファーストは選手を固定できず7人守った。)

またレンジファクターはリーグ遊撃手中3位であり、松井の守備が「大リーグ失格」と腐されるというのは不公平という意見もあった。

【シーズン成績】













































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P
S
11450946065125322718244143524042973.272.331.396.727

2005年 メジャー2年目 ニューヨーク・メッツ

今季から二塁を守ることになり、「勝負の年だと思う。二塁手でレギュラーを勝ち取るという強い気持ちを持って、1年間元気よくやりたい」と語っている。

開幕戦のシンシナティ・レッズ戦で、前年に続き初打席で本塁打を放ち、2年連続開幕戦初打席本塁打を記録。

6月16日のオークランド・アスレチックス戦では二塁上でジェイソン・ケンドールと交錯して故障者リスト入り。

復帰後は9月16日のブレーブス戦までで12試合連続安打を記録するなど打率.309OPS.777を記録していたが、そのブレーブス戦で右太ももの裏側に違和感を訴え、9回の守備から退き、その後は欠場が続いた。

27日のフィリーズ戦で代打で10試合ぶりに出場するもセカンドゴロに倒れ、連続試合安打が12で途切れた。

打撃成績は昨年を下回り打席数が規定に乗らなかった。

【シーズン成績】













































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87 295 267 31 68 943942461541415432.255 .300 .352 .652

2006年 メジャー3年目 ニューヨーク・メッツ

3月16日のオープン戦で滑り込んだ際に右ひざを痛め、マイナーで開幕を迎える。

メジャー昇格初戦となった4月20日のサンディエゴ・パドレス戦の初打席では日本人初のランニング本塁打を打ち、メジャー4人目となる3年連続シーズン初打席本塁打を達成。しかし不振が続き、打率は.200と低迷した。

【シーズン成績】













































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S
38139 130 10 26 601357203061019 1.200 .235 .269 .505

2006年 メジャー3年目 コロラド・ロッキーズ

2006年6月9日にイーライ・マレーロとの交換トレードでコロラド・ロッキーズへ移籍した。

ロッキーズの広報担当者は、松井を当面AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスでプレーさせることを明らかにした。

6月12日にAAA級コロラドスプリングスに合流。

ロッキーズでの守備位置がまだ確定しておらず、この日は2年ぶりに遊撃を守った。

21日にまたも腰痛で欠場。7月24日に復帰し、8月22日にメジャーに復帰した。

【マイナー成績】

打率.278 3本塁打 16打点 3盗塁 出塁率.328 長打率.391 OPS.719

移籍後の同年のメジャー成績は32試合出場、打率.3452本塁打19打点8盗塁OPS.896

【シーズン成績】













































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S
32 126 113 22 39 63257 1981121000270.345 .392 .504 .896

2007年 メジャー4年目 コロラド・ロッキーズ

腰痛で離脱し、5月15日に復帰した時点でチームは16勝23敗と大きく負け越していたが、復帰した松井が2番に固定され、ウィリー・タベラスとの俊足コンビが復活して以降チームは好調。

終盤にはタベラスの離脱により、「1番・二塁」に定着。チームの終盤14勝1敗という驚異的な快進撃にトップバッターとして貢献。

ジェイミー・キャロルとの併用もあって104試合の出場に留まり、規定打席には到達できなかったものの、中盤以降は二塁の定位置をほぼ手中にした。

8月終了時には打率3割を誇り、最終的に.288を記録。また、リーグ9位となる32盗塁を記録し、盗塁死4で成功率.889を記録。rWARでは3.4を記録し、MLBのスタメン二塁手30人中12位と、少ない出場数にもかかわらず高位置につけ、メジャートップクラスの二塁手に成長したと評された。

チームはワイルドカードによるプレーオフ進出を果たした。

ポストシーズンでは、10月4日のフィラデルフィア・フィリーズとのディビジョンシリーズ第2戦で逆転満塁本塁打を放つ。

チームはリーグチャンピオンシップシリーズでアリゾナ・ダイヤモンドバックスをスイープでリーグ初優勝を決め、球団創設以来初となるワールドシリーズ出場を果たした。

ワールドシリーズでは元チームメートの松坂大輔や岡島秀樹が所属するボストン・レッドソックスとの対決となり、第3戦には松坂から初回先頭打者安打を放った。

チームは第4戦で敗れたが、自身のポストシーズン通算成績は打率.304OPS.847と好成績を残した。

オフにFA。

【シーズン成績】













































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P
S
104 453 410 84 118 24 64166 37 32 4813410691.288 .342 .405 .746

【ポストシーズン成績】
















































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P
S
NLDS3141225121136000021020.417.5001.0831.583
NLCS 419 17 2 4 00042101010050.235 .278 .235 .513
WS 417171510060100000050.294 .294 .353 .647

2008年 メジャー5年目 ヒューストン・アストロズ

2007年12月2日にヒューストン・アストロズと3年総額1650万ドル(約18億3000万円)で契約。2007年限りで現役を引退したクレイグ・ビジオの後釜として期待される。背番号は「3」。

2008年、スプリングトレーニングでは6試合で打率.333OPS.794を記録していたが、開幕直前に臀部の手術により戦線離脱。

復帰後は2番打者として起用され、チーム打撃成績は著しく上昇した。

松井自身は他の打者の打撃にまで影響を与えることに関して「自分で(チームの)流れを変えられるなんて思っていない。自分は2番としての役割をしたいと思っているだけですから。回りの人がどう思うか知らないけど、そういう風に思うこと自体がどうかなと思う。自分はできる範囲のことをやっているだけですから」と否定したが、監督のセシル・クーパーは「マツイが復帰してチームに最高のスパークをもたらしてくれた」と語り、ランス・バークマンは「マツイが打線に加わり、攻撃にリズムが生まれた」と語った。

球宴後は1番打者として起用され快進撃をみせ、同年の1番打者としての成績は打率.295OPS.851を記録。

アストロズと契約を交わした際、現地主要メディアの反応はネガティブで、前年所属していたロッキーズの本拠地でありラインドライブヒッターに有利なクアーズ・フィールドでは好成績を残せるが、アストロズではメッツ時代のようになるという予測が多かったが、その予測を見事に覆した。パークファクター補正が入る打撃指標のwRC+、OPS+ではそれぞれ日本人内野手としては歴代最高の109、107と二塁手ながら平均を上回り、ホーム打率.289、アウェー打率.297と球場に関係なく成績を残した。

また、逆方向に長打が量産出来るようになり、本拠地のミニッツメイド・パークで打った二塁打は、左打席でレフト方向に運んだものが大半だった。

【シーズン成績】













































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P
S
9642237558110263616033205733700533.293.354.427.781

2009年 メジャー6年目 ヒューストン・アストロズ

5月25日レッズ戦で右太ももを痛め、翌日から欠場して回復を待ったが、「この4日間で徐々に良くなったが、スピードがまだ40%ぐらい。打つ方はいいが、自分のようなタイプは走れないといけないので」と治療を優先させることになり、29日に6年連続9度目の故障者リスト入り。

6月中に達成濃厚とされた日米通算2000安打も故障者リスト入りでオールスター前の名球会入りは絶望的となったが、松井は「DL(故障者リスト)に入る以上はしっかり治す」と切り替えた。

8月15日のブルワーズ戦で、日本人野手としてはイチロー・松井秀喜に続き3人目となる日米通算2000本安打を達成。試合後には西武時代の監督である東尾修より、日本プロ野球名球会のブレザーを授与された。達成後の地元での試合前にアストロズのオーナーであるドレイトン・マクレーンから記念の盾が贈られた。

9月10日のブレーブス戦では複数安打を記録し日米通算2019安打とし、柴田勲が持つ日本人両打ち打者の最多安打2018本を超えた。

この年も故障で離脱があったもののメジャー移籍後最多となる132試合に出場しメジャー移籍後2度目となる規定打席到達を果たしたこともあり、本塁打等で自己最高の成績を残した。得点圏打率は.323であり、得点圏OPS.952は日本人最高値で、歴代でもシーズン記録としては日本人2位、特に満塁の場面では8打数5安打10打点であった。

一方で二年連続で20盗塁以上を記録していた盗塁数は19に終わり、打率は.250に沈んだ。

【シーズン成績】













































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P
S
132 533 476 56119 2029170461931643423854.250 .302 .357 .659

2010年 メジャー7年目 ヒューストン・アストロズ

2010年、スプリングトレーニングでは打率.2932本塁打OPS.844と好調で、開幕戦でも2安打を放ったが、翌日の試合では先発を外れる。

監督のブラッド・ミルズによると「第3戦のデーゲームに備えさせるため」だったが、他の主力選手は当然のように開幕3連戦に先発していた。

結局開幕5戦目までの3試合で松井は先発を外れた。ミルズ監督は「ケッピンジャーのバットが振れているので先発から外せない」と説明した。松井の先発機会はケッピンジャーが休養で欠場するか、ショートに回った時だけに限られた。

松井は不振に陥り、打撃コーチのショーン・ベリーは「技術的に大きな問題はない。今まで毎日試合でプレーしてきたが、今年は出場機会が制限され、その役割に順応できていないのだと思う。また練習熱心過ぎる真面目さが、結果が出ないことで自分を追い込んでしまっているようだ」と発言したが、直後にアストロズから解雇される。

【シーズン成績】













































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27 78 71 4101001111120401100.141 .197 .155 .352

2010年 マイナー6年目 コロラドスプリングス・スカイソックス

コロラド・ロッキーズとマイナー契約を結ぶ。

傘下のAAA級のコロラドスプリングス・スカイソックスでプレー。

メジャー昇格を目指すものの、昇格することなくシーズンを終えてFAとなり、代理人のアーン・テレムとの契約も解除した。

【マイナー成績】

打率.262 2本塁打 29打点 7盗塁 出塁率.331 長打率.349 OPS.680

11月25日に東北楽天ゴールデンイーグルスと総額3億円の2年契約を結んだ。

コメント

  1. […] 松井稼頭央 メジャー成績を振り返る西武ライオンズにドラフトで3位指名… 中島宏之(裕之) メジャー成績を振り返る中島選手といえば、 西武ライオンズから内野手として5巡目指名され、松井稼頭央選手の後を継いで遊撃手としてチームに貢献し続けた選手です。 守備は堅実でゴールデングラブ賞を3回受賞。打撃では3割、出塁率も高く安定した打撃を披露していました。WBCでは日本代表として勝負強い打撃で、出塁率も5割を超えており優勝に貢献しました。そんな中島選手のメジャーでの日々を振り返ります。mattaridoudesyou.com2021.06.06 中村紀洋 メジャー成績を振り返るメジャーへの入団経緯が面白い選手ですが、日本での活躍を見れば歴然で日本を代表するパワーヒッターでした。今は亡き、近鉄バファローズから4位指名を受けて入団。1997年には自身初のシーズン30本塁打を達成。2000年には39本塁打・110打点で本塁打王と打点王を受賞。2001年は132打点で打点王を獲得し、近鉄優勝に貢献。後述いたしますがトラブルもあり一旦メジャー挑戦はあきらめましたが挑戦の夢は捨てず海を渡りました。その詳細を記載していきます。mattaridoudesyou.com2021.05.11 var a8='a18121051541_2ZVYVL_D0K5V6_2HOM_BUB81';var rankParam='h02i1uJqmSXTBCW1mPXdr3XH7SXHD';var bannerType='1';var bannerKind='item.variable.kind1';var vertical='10';var horizontal='3';var alignment='1';var frame='1';var ranking='1';var category='総合'; […]

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