阪神タイガースからメジャーリーグへ移籍した選手歴代一覧【阪神からメジャーに行った人】

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阪神タイガースからメジャーリーグへ移籍した選手歴代一覧

年度選手名ポジション移籍システム契約球団期間MLB通算成績
2001新庄剛志外野手FAメッツ2001~2003303試合 打率.245 20本 100打点 9盗塁 OPS.668
2005藪恵壹投手FAアスレチックス2005~2006100試合 7勝 6敗 1S 10H 防御率4.00
2007井川慶投手ポスティングヤンキース2005~201116試合 2勝 4敗 防御率6.66
2013藤川球児投手FAカブス2013~201529試合 1勝 1敗 2S 1H 防御率5.74
2023藤浪晋太郎投手ポスティングアスレチックス2023~
2025青柳晃洋投手ポスティングフィリーズ2025~

引退した選手の総評

新庄剛志

新庄剛志選手がメジャーリーグに挑戦したのは、2001年から2003年までの3年間でした。ニューヨーク・メッツやサンフランシスコ・ジャイアンツといった球団に所属し、日本のプロ野球での実績を引っさげて、海を渡りました。

メジャーでの通算成績は、打率.245、本塁打20本、打点100。数字としては飛び抜けたものではないかもしれませんが、当時の状況を考えると、かなり健闘したと言えると思います。特にメジャー1年目の2001年には、打率.268、ホームラン10本、56打点という成績を残していて、初年度からしっかりチームに貢献していました。

新庄選手の特長としてよく語られるのが守備力です。日本でも“外野の名手”として知られていましたが、メジャーでもその実力は健在で、広い守備範囲と正確なスローイングで評価されていました。単に派手な選手というだけでなく、プレーそのものがしっかりしていたことが、現地ファンやメディアからも評価された理由の一つです。

また、新庄選手の挑戦は“日本人野手として初めてのメジャー挑戦”という点でも大きな意味を持っています。当時、野手がメジャーで通用するかどうかは未知数で、彼のチャレンジはかなり勇気のいる決断でした。その後に続いたイチロー選手や松井秀喜選手といったスターたちの活躍は、新庄選手が先陣を切ったからこそ開かれた道でもあったと思います。

そして何より、新庄選手は常に「野球を楽しむ姿勢」を忘れずにプレーしていました。プレッシャーの大きいメジャーの舞台でも、彼は自分らしく、時に笑顔を見せながら野球に取り組んでいました。その姿勢は、成績以上に多くの人の心に残っているのではないでしょうか。

藪恵壹

藪恵壹選手がメジャーリーグに挑戦したのは2005年、35歳という遅咲きのタイミングでした。日本プロ野球では阪神タイガースの柱として長く先発ローテーションを支え、通算84勝を挙げてきたベテランです。そんな藪選手が、キャリア後半でアメリカ・メジャーリーグの舞台に立ったこと自体、大きな挑戦でした。

3年間の通算では、7勝6敗、防御率4.50、奪三振72という成績を記録しました。

2005年の活躍は特筆に値します。中継ぎで年間58試合に登板し、防御率3点台後半という数字は、メジャーの厳しい環境の中では十分合格点と言える内容です。特に、WHIPが1.27と優秀で、走者を過度に出さずに安定したイニングを刻んでいたことがうかがえます。

藪選手の特徴は、剛球ではなく精度の高いコントロールと変化球にあります。速球の最速は140キロ台中盤にとどまりましたが、スライダーやカーブを織り交ぜ、打たせて取るピッチングで結果を出しました。このスタイルは、速球主体のメジャーにおいては少数派でしたが、かえって打者にタイミングを外す形で有効だったとも言えます。

2006年以降は成績がやや下降し、翌年には登板機会も激減しましたが、これは年齢的な衰えや球団の若返りの方針も影響していたと思われます。それでも、35歳からスタートしたメジャー挑戦で3年間を戦い抜き、一定の結果を残したことは、評価に値します。

井川慶

井川慶選手がメジャーリーグに挑戦したのは2006年オフ、阪神タイガースでの長年の実績をもとに、ポスティングシステムを通じてニューヨーク・ヤンキースと契約しました。ポスティング入札額は約2600万ドル、契約総額と合わせて日本円でおよそ30億円規模。当時としては破格の条件であり、球団からの期待の大きさがうかがえました。

【通算成績】

  • 登板数:16試合(うち先発14試合)
  • 勝敗:2勝4敗
  • 防御率:6.66
  • 投球回:71回2/3
  • 奪三振/与四球:53/37
  • 被本塁打:15
  • WHIP(1イニングあたりの被安打+与四球):1.87

この数字を見れば、残念ながら、期待されたような活躍には届かなかったことがうかがえます。特に制球面において苦しんだ印象が強く、与四球の多さは、試合全体の流れに悪影響を及ぼしていました。また、WHIPが1.87という数値は、毎回のように走者を出していたことを示しており、先発投手として試合を安定させることが非常に難しかったと言えるでしょう。

さらに、被本塁打の多さも課題のひとつでした。ストライクゾーンで勝負しにいった際に、痛打される場面が少なくなく、ボール球が増えれば四球、ゾーンに入れば長打という悪循環から抜け出せなかった印象です。

ヤンキースでのデビュー戦では、5回を投げて7失点という苦しい立ち上がりとなり、その後も大きな改善は見られませんでした。結果として、先発ローテーションの一角に定着することはできず、2008年以降はメジャーで登板する機会すらほとんど与えられなくなってしまいました。

井川選手に対するヤンキース側の評価は、次第に厳しいものとなっていきました。特に当時の監督ジョー・トーリやゼネラルマネージャーのブライアン・キャッシュマンは、井川の制球面や球威の不足に懸念を示していたと言われています。

2007年シーズン中には、井川選手をメジャーのロースターから外して3Aスクラントン・ウィルクスバリに降格させる決断が下されます。さらに、2008年にはチームが井川の“40人枠”からの除外を試み、他球団にトレードを打診したという報道もありましたが、契約金額の高さと成績のギャップからか、移籍先は見つからず、結果的にマイナー暮らしが続くことになります。

ただし、マイナーリーグでの井川選手は、むしろ好成績を残していました。2008年には14勝6敗、防御率3.45という成績を挙げ、3Aの中ではチームのエース格として機能していたのです。つまり、全く通用しなかったわけではなく、「メジャーの壁が非常に高かった」という見方もできます。

チェンジアップを武器に打者のタイミングを外すスタイルは、日本では通用していたものの、パワーと選球眼に優れるメジャー打者には通じにくく、苦戦を強いられた点は否めません。

井川慶選手のメジャー挑戦は、数字上は厳しい結果に終わりました。投資に見合う活躍ができなかったことから、「ヤンキース史上ワースト契約のひとつ」と評されたこともあります。ファンやメディアの反応も冷ややかで、「メジャーでは通用しなかった日本人投手」として語られることも少なくありません。

藤川球児

藤川球児選手は、阪神タイガースで長年リリーフエースとして活躍し、2007年には最多セーブ投手に輝くなど、日本球界を代表するクローザーとして知られていました。​2012年オフ、海外FA権を行使してシカゴ・カブスと2年総額950万ドルの契約を結び、メジャーリーグへの挑戦を果たしました。

2013年の開幕戦でメジャーデビューを果たし、初セーブを記録するなど、順調なスタートを切りました。しかし、同年5月に右肘の故障が発覚し、トミー・ジョン手術を受けることとなります。​その後、2014年に復帰を果たしましたが、以前のような投球を取り戻すことは難しく、2015年にはテキサス・レンジャーズに移籍しましたが、2試合の登板にとどまりました。

藤川選手のメジャーでの成績は、期待されたものには及びませんでした。​防御率5.74という数字は、メジャーのリリーフ投手としては厳しい評価となります。​しかし、短い登板機会の中で32奪三振を記録するなど、持ち前のストレートの威力は健在でした。​

また、メジャーでの経験は、藤川選手自身にとって貴重なものとなりました。​その後、独立リーグを経て阪神タイガースに復帰し、再びリリーフとして活躍を見せました。

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