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松井秀喜 メジャー成績を振り返る

スポーツ




松井秀喜さんといえば、王道の道を通ってきた野球選手です。

甲子園での5打席連続敬遠という伝説から始まり、長嶋監督により巨人に導かれ日本の長距離砲として君臨しました。

10年間で本塁打332本という成績を残しました。

個人タイトルは、首位打者1回・本塁打王3回・打点王3回・最高出塁率3回

チームを3回の日本一導き、長年の夢であったメジャーリーグに挑戦しました。

その歩みを振り返ってみます。

2003年 メジャー1年目 ニューヨーク・ヤンキース

総額2100万ドル(当時約25億4100万円)の3年契約ニューヨーク・ヤンキースと契約。

初出場は03/31のビジターでのトロント・ブルージェイズ戦。5番・レフトで先発出場をし、初回にロイ・ハラディ投手よりレフト前タイムリーで初ヒット・打点を記録。

本拠地開幕戦の04/08ミネソタ・ツインズ戦には、ジョー・メイズより満塁でのメジャー初となる本塁打を記録。

4/12にはメジャー初のサヨナラヒット。

4/14にヤンキースタジアム3階に入る特大の第2号ホームラン。

5/7に第3号のホームランを放っている。

しかし、ここからスランプが始まる。

メジャー特有の動く球、ムービングファストボールをとらえることが出来ず、ゴロを量産。

メディアからは「ゴロキング」と呼ばれてしまう。実際内野安打を量産していたイチロー選手よりもゴロを量産していた。

しかし、6月5日スランプから抜け出す。コーチより「ベースに少し近づいて立ってみたらどうだ」とアドバイスを受けスランプから脱出した。

この試合第4号ホームランを放った。

上記の1~3号のホームランとこの4号ホームランは打ち方が違う。

1~3号はボールの下をこすってフライを打つタイプの日本時代のホームランの打ち方であったが、4号からはボールにバットをぶつける感覚のバッティングに変更した。

前者の打ち方では確かにホームランの数は打てたかもしれないが、本物のメジャーのピッチャー達から今後ホームランを打つには通用しないと考え変更したのである。

初めて体験する世界に対応するためにバッティング改良しながらも、スタメンを張らせてくれる監督のジョー・トーリに答えるためにホームランを捨て打点を挙げ続ける。

イチロー選手の場合は1999年にマリナーズのキャンプに参加し、メジャーのボールに苦戦した。

その経験を糧に日本でのシーズンを戦い抜きメジャー挑戦に備えた。

その結果が誰もが知る1年目の物凄い活躍であった。

しかし、松井選手の場合はこれをシーズン中に行わなければならなかった。

シーズン中にバッティングを改良しながら結果を残すのは凄まじい努力が必要である。

その闘いの日々が感じられるシーズンであった。

7月にはオールスターに出場し先発出場にて1安打を放つ。

オールスター開け7/17には日本人初のサヨナラホームランを放った。

このシーズン本塁打は16本で正直期待外れの数字ではあったが、

16号目のホームランはこのシーズン唯一のレフト方向へのホームランであった。

メジャーで生き残るためにバッティングを変えていたが、その重たる点は広角に打球を飛ばすことであった。

このシーズン最後のホームランは来年以降長打を放つための布石となっている。

シーズン終わってみれば、前述通り本塁打は16本だが打点はチーム2位の106打点。(1位はジアンビの107打点)そして何よりも得点圏打率が.335でチームトップであった。

チームは優勝し、ポストシーズンに進出した。

ワールドシリーズまで勝ち残ったが、惜しくもマーリンズに敗戦した。

■成績

・シーズン

163試合 打率.287 16本塁打 106打点 82得点 179安打 42二塁打 1三塁打 63四球 86三振 出塁率.353 長打率.435 OPS.788 塁打数271 25併殺

◆ポストシーズン

・ALDS

4試合 打率.267 1本塁打 3打点 2得点 4安打  1二塁打 0三塁打  2四球 3三振 出塁率.353 長打率.533 OPS.886 

・ALCS

7試合 打率.308 0本塁打 4打点 3得点 8安打  3二塁打 0三塁打  1四球 3三振 出塁率.321 長打率.423 OPS.745 

・WS

6試合 打率.261 1本塁打 4打点 1得点 6安打  0二塁打 0三塁打  3四球 2三振 出塁率.370 長打率.391 OPS.762 

2004年 メジャー2年目 ニューヨーク・ヤンキース

前年の長打力不足対策として筋力トレーニングを行い体重を増やす。

また、広角でのバッティングも加えて強化するために、右打席でのバッティング、左投げを行い左手の感覚のトレーニングをおこなった。

これが功を奏し左方向への長打が増えスプリングトレーニングではチーム2冠王であった。

この年開幕戦は東京ドームでの開幕のため日本に凱旋。

巨人軍との試合ではホームランを放つなど調子のよさをアピールし、開幕戦は2番レフトで先発出場でホームランを放った。

前年度に比べ長打が増え、前半戦のみで前年を上回る17本塁打を放つ。

オールスタ―にも選出されシーズン終わってみれば、打率は三割近く、ホームラン31本、100打点を超え、シーズン後半から定着した4番打者としての仕事を全うした。

チームを地区優勝に導き、ポストシーズンに進出したがバッティングの好調は変わらずMVP候補に挙がるほど活躍したが、チームは史上初の3連勝からの4連敗でレッドソックスに敗戦した。

■成績

・シーズン

162試合 打率.298 31本塁打 108打点 109得点 174安打 34二塁打 2三塁打 88四球 103三振 出塁率.390 長打率.522 OPS.912 塁打数305 11併殺

◆ポストシーズン

ALDS

4試合 打率.412 1本塁打 3打点 3得点 7安打  1二塁打 0三塁打  3四球 4三振 出塁率.476 長打率.647 OPS1.123 

・ALCS

7試合 打率.412 2本塁打 10打点 9得点 14安打  6二塁打 1三塁打  2四球 4三振 出塁率.476 長打率.647 OPS1.268 

2005年 メジャー3年目 ニューヨーク・ヤンキース

前年よりも筋力を鍛え上げ116㎏まで体重を増やしシーズンに臨んだ。

4月8日に第3号ホームランをはなってから202打席ホームランが出ず調子の上がらない時期があったが、6月20日には6試合で打率.455、3本塁打、10打点で自身3度目の週間MVPを受賞。

6月は全試合で出塁を記録し月間打率.398、6本塁打、23打点、OPS1.165と好調で巻き返した。

しかし、オールスター出場は逃す結果となった。

7月28日には、アーニー・バンクスを抜いてメジャーデビューから425試合連続出場の新記録を樹立した。

シーズン終了成績はメジャー初の打率3割を残し、打点も116打点を挙げた。

ちなみに今シーズンイチローの打率が.303であったため日本人打者で打率1位であった。

しかし、本塁打は昨年より数字を落とした。

チームは優勝し、ポストシーズンに進出したがランナーがいる場面で凡退を繰り返し、勝利に導くことが出来なかった。

■成績

・シーズン

162試合 打率.305 23本塁打 116打点 108得点 192安打 45二塁打 3三塁打 63四球 78三振 出塁率.367 長打率.496 OPS.863 塁打数312 16併殺

◆ポストシーズン

ALDS

5試合 打率.200 1本塁打 1打点 4得点 4安打  1二塁打 0三塁打  2四球 3三振 出塁率.273 長打率.400 OPS.673 

2006年 メジャー4年目 ニューヨーク・ヤンキース

ヤンキースと4年総額5200万ドル(当時のレートで約61億8800万円)で契約延長。

古傷の左ひざ痛が再発し、持病の花粉症に悩まされるなど、万全とは言えない状態であったが、開幕戦で1本塁打を含む4安打を放つ。

4月18日にはデビュー以来500試合連続出場を達成。

しかし、5月11日に本拠地ヤンキー・スタジアムで行われたレッドソックス戦の1回表、マーク・ロレッタの放った浅めのフライを滑り込んでキャッチしようとした際にグラブが芝生にひっかかり左手首を故障。そのまま途中交代した。1イニング守備に就かずに交代したため、巨人時代の1993年8月22日から続いていた連続試合出場記録が「1768」で途切れた。

検査を行った結果、左手首(橈骨)骨折と診断された。

インタビューでの「 I’m Sorry 」はアメリカで話題となった。全力でプレーしたのにもかかわらず謝罪したからである。

翌朝に手術が行われ、故障者リスト入りする。チームメイトに与えたショックも大きく、デレク・ジーターは「松井の代わりなんて誰もいない」と語った。

長いリハビリの中でも、バッティングフォームを改良する向上心を持ち続けた。

8月17日には98日ぶりにベンチ入りし、30日にはフリー打撃を再開した。

9月12日のデビルレイズ戦に8番・指名打者で124日ぶりに先発出場し、4打数4安打の活躍で復活を遂げた。

復帰後は14試合で打率.430を記録するなど好調で、最終的には51試合の出場ながら打率.302をマークした。

今年もチームは地区優勝を果たしたが、ディビジョンシリーズでは16打数4安打、0本塁打、打点1と目立った活躍が出来ず、チームも2年連続でディビジョンシリーズ敗退となった。

■成績

・シーズン

51試合 打率.302 8本塁打 29打点 32得点 52安打 9二塁打 0三塁打 27四球 23三振 出塁率.393 長打率.494 OPS.887 塁打数85 6併殺

◆ポストシーズン

ALDS

4試合 打率.250 0本塁打 1打点 1得点 4安打  1二塁打 0三塁打  0四球 2三振 出塁率.250 長打率.313 OPS.563 

2007年 メジャー5年目 ニューヨーク・ヤンキース

4試合目の4月7日、ボルチモア・オリオールズ戦の2回の第1打席目に捕ゴロで一塁へ走った際、左太股に一瞬つったような違和感を訴える。

その後2イニングはストレッチなどで様子を見ながら守備に就いていたが、太股の張りが消えないため、4回の第2打席目の直前で首脳陣は代打を告げ、そのままベンチ裏に退き、翌日故障者リスト入りする。

このシーズンから膝との戦いが続くこととなる。

日本時代の長年の人工芝でのプレーが膝を痛めていたのである。

MRI診断の結果、左太股の軽い肉離れが判明。

故障は順調に回復、故障者リストの期限が切れる4月23日に出場選手登録され、同日のデビルレイズ戦へ16日ぶりにスタメン復帰となった。

5月6日、本拠地でのマリナーズ戦で日本人メジャーリーガー2人目となるNPB・MLB通算2000本安打を達成。

日本から駆けつけた名球会会長の金田正一の目の前での快挙達成であり、名球会入りを果たした。

当初は外野手の失策と記録されたが、後に二塁打に訂正され、直後判定に両チーム乱闘が起こった。

6月は打率.252、3本塁打、OPS.706と打撃不振に陥り、6月26日には地元紙から他4選手と共に、勝てない直接の原因として名指しされた。

7月に入ると一転して打撃好調で打ちまくり、出場28試合で打率.345、28打点、OPS1.145の成績。長打率.735、13本塁打、31得点はリーグトップであり、7月のリーグ月間MVPに選出された。

8月5日、ヤンキースタジアムでのカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャー通算100本塁打を達成。

終盤からプレーオフにかけて右膝の故障に苦しみ、9月は打率.185、2本塁打、OPS.689を喫した。

チームは3年連続でディビジョンシリーズ敗退、松井も4戦で打率.182(11打数2安打)に終わった。

シーズン終了後の11月14日にニューヨークの病院で右膝の軟骨を除去する内視鏡手術を受ける。

■成績

・シーズン

143試合 打率.285 25本塁打 103打点 100得点 156安打 28二塁打 4三塁打 73四球 73三振 出塁率.367 長打率.488 OPS.855 塁打数267 9併殺

◆ポストシーズン

ALDS

4試合 打率.182 0本塁打 0打点 4得点 2安打  0二塁打 0三塁打  5四球 2三振 出塁率.438 長打率.182 OPS.619 

2008年 メジャー6年目 ニューヨーク・ヤンキース

3月26日に富山県出身の25歳日本人女性とアメリカ合衆国ニューヨーク市内で挙式。

レギュラーシーズンでは監督の交代もあり、開幕前はレギュラーが確約されなかった。

開幕は「8番・指名打者」からのスタートとなったが、序盤は打撃が好調で打順も上がり、一時は打率.337で首位打者に立ち、4月から5月にかけては自己最長となる19試合連続安打を放った。

また、この年のオールスターゲームは同年限りで閉場する地元ヤンキースタジアムで行われる最後のオールスターゲームということもあり、松井も出場を熱望したが叶わなかった。

6月になっても好調を持続させ、首位打者争いをしていたが、6月18日の試合前、突然古傷の左膝に痛みが走り、患部に溜まった水を抜く治療を受けた後、監督のジョー・ジラルディとGMのブライアン・キャッシュマンの意向で6月27日に故障者リスト入りした。

オフに手術した右膝を無意識にかばい、左足に負担が掛かっていたことが原因だった。

持ち上がった手術の話に関しては、7月17日の段階では「球団に勧められれば受け入れる 」との考えを示していたが、しかし、2日後にキャッシュマンから手術を勧められた際には態度を一転させ、2時間もの説得にもかかわらず手術を拒否した。

その後、2ヶ月に渡る治療・リハビリののち、8月19日のブルージェイズ戦から復帰、主に「7番・指名打者」として出場を続けたが、万全には程遠く打撃は低迷。

チームのプレーオフ進出も困難になった9月後半からは再び控えに回り、21日のヤンキー・スタジアム最終試合の先発出場を最後にシーズンを終えた。

9月22日に左膝の内視鏡手術に踏み切った。

最終的に打率は3割を下回る.294、安打数は99、本塁打も一桁の9本と寂しい成績に終わった。

■成績

・シーズン

93試合 打率.294 9本塁打 45打点 43得点 99安打 17二塁打 0三塁打 38四球 47三振 出塁率.370 長打率.424 OPS.795 塁打数143 10併殺

2009年 メジャー7年目 ニューヨーク・ヤンキース

膝のリハビリを最優先したために、調整が遅れてしまい、スプリングトレーニングでも序盤は不振が続いたが、故障のため離脱したアレックス・ロドリゲスに替わって4番に座り4本塁打を放った。

開幕戦では4番・指名打者として出場し、7回には恩師である長嶋茂雄の通算444号を超えるNPB・MLB通算445号となる2点本塁打を放った。

しかし打撃の調子はなかなか上がらず、5月以降も膝の腫れや太もも痛などの怪我が断続的に発生した。

ロドリゲスの復帰後は、打順が5番や7番に下がり、休養を入れながらの指名打者としての起用が続いた。

また、2009年は完全に指名打者としての登録になったため、指名打者制のないナ・リーグの本拠地球場(ブッシュ・スタジアム)で行われるオールスターのファン投票にはノミネートされなかった。

5月下旬には守備練習を再開。5月27日のテキサス・レンジャーズ戦では、NPB・MLB通算450号となる6号本塁打を含む2打席連続を放った。

しかしその後、18打席連続無安打を記録するなど打撃不振が続き、指名打者制が採用されないナ・リーグ本拠地でのインターリーグ(交流戦)では全試合で先発を外れた。

7月20日のオリオールズ戦では、2003年以来6年ぶり2本目のサヨナラ本塁打を放ち、7月は打率.293、5本塁打、OPS.967と好調を続けたが、直後から13打席連続無安打に陥った。

8月13日のマリナーズ戦では2本塁打を含む4安打5打点と爆発したが、直後に左ひざの状態が悪化してシーズン初の連続欠場となった。

しかし復帰後の8月21日のレッドソックス戦にて3点本塁打を2本放つなどして自己最高の一試合7打点を記録。2日後のレッドソックス戦でも2本塁打を放つ活躍を見せた。

こうして8月は中旬から比較的好調を維持して打率.281、8本塁打、25打点、OPS.918という成績を残し、勝負強い打撃を見せた選手に贈られる「クラッチ・パフォーマー賞」を贈られた。

9月19日のマリナーズ戦で26号本塁打を放ち、ドン・ベイラーを抜いて指名打者での年間最多本塁打の球団記録を更新。

メジャー移籍後2番目に多い28本塁打を放ち、チーム3位の90打点を叩き出す勝負強さで3年ぶりの地区優勝に貢献した。

レギュラーシーズン全日程終了後、「明らかに打率が低いのは反省点。(28本塁打は)よくも悪くもない」と総括した。

また、4年ぶりに1度も故障者リストに入らなかったことを喜んだ。

米国のスポーツ専門誌「スポーティング・ニューズ」が選定するア・リーグ・オールスターメンバーにも指名打者部門で選出された。

ポストシーズンには主として「5番・指名打者」として出場。

ミネソタ・ツインズとのディビジョンシリーズ第1戦では、試合を決定付ける2点本塁打を放った。

ロサンゼルス・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは初戦で2打点と活躍したものの、第4戦・6戦では無安打とやや調子を落とし、打順も6番に下がったが、チームは4勝2敗でエンゼルスを下し、メジャー1年目の2003年以来6年ぶりにワールドシリーズへと駒を進めた。

迎えた前年の覇者フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは5番に復帰し、持ち前の勝負強さを存分に発揮した。

初戦は1安打のみに終ったが、第2戦では1-1の同点で迎えた6回裏に、ペドロ・マルティネスから決勝本塁打を放った。

フィリーズの本拠地シチズンズ・バンク・パークで行われた第3〜5戦は、指名打者が使えないため代打での出場となった。第3戦では2試合連続となる本塁打を放ち、第5戦でも左前打を放つなど、わずかな出番ながらも結果を出した。

ヤンキースの3勝2敗で本拠地に戻った第6戦では先発に復帰し、2回にペドロ・マルティネスから先制の2点本塁打を放つと、3回には中前適時打、5回にも右中間を破る適時二塁打で2打点ずつを加え、ワールドシリーズ・タイ記録となる1試合6打点をマークし、スタジアムのファンからは「MVP!」の大歓声が沸き起こった。

9年ぶりの世界一に貢献し、13打数8安打3本塁打8打点、打率.615、OPS2.027で日本人選手初、フルタイムの指名打者としても初めてとなるワールドシリーズMVPに選出された。

また、「日本シリーズMVPとワールドシリーズMVPを共に受賞した初の選手」となった。

ヤンキースとの契約満了に伴い、11月9日にFAとなり、ヤンキースは松井との残留交渉は行わなかった。

外野手として守備につきたい松井と、あくまで指名打者、守備は考えていないという双方の意見の食い違いにより再契約は叶わなかった。

■成績

・シーズン

142試合 打率.274 28本塁打 90打点 62得点 125安打 21二塁打 1三塁打 64四球 75三振 出塁率.367 長打率.509 OPS.876 塁打数232 4併殺

◆ポストシーズン

ALDS

3試合 打率.222 1本塁打 2打点 1得点 2安打  0二塁打 0三塁打  3四球 3三振 出塁率.417 長打率.556 OPS.972 

・ALCS

6試合 打率.238 0本塁打 3打点 1得点 5安打 1二塁打 0三塁打  5四球 4三振 出塁率.385 長打率.286 OPS.670 

・WS

6試合 打率.615 3本塁打 8打点 3得点 8安打 1二塁打 0三塁打  1四球 3三振 出塁率.643 長打率1.385 OPS2.027 

2010年 メジャー8年目 ロサンゼルス・エンゼルス

2009年12月16日にロサンゼルス・エンゼルスと年俸600万ドル1年契約を結び、エンゼルス初の日本人野手となった(投手では長谷川滋利が過去に在籍)。

監督のマイク・ソーシアが直々に守備復帰の機会を確約してくれたことがエンゼルス入団の決め手となったという。

ヤンキースタジアムでの開幕戦、チャンピオンズリング授与式で元同僚から祝福を受ける松井2010年の序盤は4番に座り、シーズンを通して前年同様指名打者での出場を主とし、わずか18試合ながら2008年6月以来となる左翼守備にも就いた。

4度目となる開幕戦ホームランを記録するなど序盤は打撃好調で、4月13日には移籍後初めてヤンキースタジアムでの古巣ヤンキース戦に臨んだ。試合前に行われたワールドシリーズ優勝記念リングの贈呈式では、観客からスタンディングオベーションで迎えられ、かつての同僚が一斉に松井に駆け寄って熱い抱擁を交わす場面もあった。この時、松井に贈呈されたチャンピオンリングは偽物であったが、これはジーターがいたずらを仕込んだもので試合後には本物が渡されるまで松井は気付かなかった。

4月26日のインディアンス戦ではメジャーリーグ通算1000本安打を達成し、その後の打席でMLB通算500三振を喫した。

6月26日のコロラド・ロッキーズ戦では満塁本塁打を放ち、MLB通算150号を達成。

後半戦は打率.309、11本塁打、37打点、リーグ5位のOPS.955を記録し、最終的に打率.274、21本塁打、84打点、チームトップのOPS.820を残した。

しかし5月は打率.184にOPS.545、7月は打率.228にOPS.708、8月は打率.304にOPS.938、9月は打率.347にOPS1.024と、月によって調子の波が激しく、さらにシーズンを通して、右投手に対しては打率.287にOPS.861と例年並みの数値を残したものの、左投手に対して打率.234にOPS.687と低迷。

7月以降は相手先発が左投手の際の起用を見送られることが多くなり、チーム成績の低迷もあって、若手の起用が増えたことから守備に就く機会も減った。

前半戦は、松井に追い出される形でレンジャーズに移籍したブラディミール・ゲレーロが絶好調だったため、地元メディアやファンからはゲレーロと比較される形で批判を受けた。

オールスターゲームは地元エンゼルスタジアムでの開催だったが、ファン投票の指名打者部門はゲレーロに230万票以上の大差を付けられた2位に終わった。

その後は打撃の調子が上がっていたが、9月8日のインディアンス戦では、新人時代の1993年以来17年ぶりに代打の代打を送られる屈辱も味わった。

シーズン終了後、エンゼルスGMのトニー・リーギンスからは「こんなに調子の波が激しいとは思わなかった」と失望感を隠さない厳しい評価が下された。

11月2日に1年契約が満了しFAとなり、翌日エンゼルスは同月6日が期限となっていた独占交渉期間中に翌年の契約を提示しないと表明した。

■成績

・シーズン

145試合 打率.274 21本塁打 84打点 55得点 132安打 21二塁打 1三塁打 67四球 98三振 出塁率.361 長打率.459 OPS.820 塁打数221 10併殺

2011年 メジャー9年目 オークランド・アスレチックス

2010年12月14日にオークランド・アスレチックスと年俸425万ドル(当時のレートで3億5700万円)で1年契約を結ぶ。

松井にはアスレチックス以外にも数球団が関心を示していたが、正式な条件提示を行ったのはアスレチックスのみであった。

2011年のスプリングトレーニング中は寝違えと花粉症に悩まされて一時別メニュー調整となり、3月21日の夜には宿舎で転倒し、翌日には顔面傷だらけで球場に現れるという一幕もあった。

オープン戦は過去3年では最多の22試合に出場したが、打率.169、1本塁打、2打点、OPS.486と低調な成績だった。

開幕は「5番・DH」で迎え、4月3日のマリナーズ戦でシーズン初安打となる二塁打を放ちNPB/MLB通算2500本安打を達成。2000本安打達成時と同じく、イチローの前で記録を達成することとなった。

5月3日のレンジャーズ戦では2年ぶりのサヨナラ本塁打を放つ。

ところが、その後は不振に陥り、5月には月間打率.197と低迷。対戦チームの先発が左投手の試合では先発を外されることが多くなっていたが、6月に入ると、右投手相手でも先発を外れることが増えた。

これについて、松井は「スランプを脱するには、試合に出る必要がある」と歯がゆさを滲ませていた。

地元のテレビ局からは、DH制の無い交流戦が始まる6月21日までに出場機会を与えても復調しなければ、解雇すべきだという厳しい報道がなされた。

しかし、6月9日に監督のボブ・ゲレンが解任され、ボブ・メルビンが監督代行に就任して以降は相手投手の左右に関わらず、主に「3番・DH」で先発起用されるようになる。

メルビンは、マリナーズ監督時代から松井の進塁打を打つ能力や四球を選ぶセンスを評価していたという。

監督交代後初の試合となった6月10日のホワイトソックス戦で左腕のマーク・バーリーから5月3日のサヨナラ弾以来となる4号本塁打を放つと、6月17日のロイヤルズ戦でNPB・MLB通算499号となる6号本塁打を放つまで、7試合で打率.304、3本塁打と復調の兆しを見せた。

21日のメッツ戦ではDHが使えないため、移籍後初めて外野守備に就いた。

しかし、その後は再び調子を落とし、前半戦終了時点での打率は.209だった。

本塁打も長らく出ていなかったが、7月20日のタイガース戦で第7号本塁打を放ち、NPB・MLB通算500本塁打を達成(巨人時代の10年間で332本、メジャー9年目で168本)。

試合後にはNPBに復帰せずメジャーで現役を終える考えであることを口にした。

7月25日には6年ぶりとなる7月第3週の週間MVPを受賞。

7月は打率.365、3本塁打、OPS.997を残し、チーム月間MVPを受賞した。

9月10日のレンジャーズ戦でNPB・MLB通算505本塁打となる第12号本塁打を放ち、日本人通算本塁打で歴代単独7位となったが、8月と9月は打率.244、3本塁打、OPS.640と再び調子を落とした。

シーズン終了直前の9月26日には、報道陣に対して「またゼロからやり直すだけ」と来シーズンへの意気込みを語ったが、一方で「どこからも必要とされなければ、引退するしかない」という心境も吐露した。

後半戦は打率.295、6本塁打、OPS.779と、前半戦からは大きく数字を上げたが、シーズン通算では打率.251、12本塁打、チーム2位の72打点、OPS.698と100試合以上出場ではプロ入り後ワーストとなる成績でシーズンを終えた。

また、2008年以降では最多となる27試合で守備に就き、打者に不利な球場として知られる本拠地オー・ドットコー・コロシアムでは打率.234、4本塁打、OPS.663と低調な成績に終わったが、ロードでは打率.267、8本塁打、OPS.729を残した。

シーズン最終戦終了後のインタビューでは「体調という意味では凄く良いシーズンだったけど、いい結果は出なかった。納得いったところなんてない」と語った。

10月31日にフリーエージェントとなった。このオフにはアスレチックスからの残留要請の他、シカゴ・ホワイトソックスなどからのオファーもあったが、条件面などで折り合わなかったとされ、結局プロ入り後初めて所属球団未定のまま越年することとなった。

■成績

・シーズン

141試合 打率.251 12本塁打 72打点 58得点 130安打 28二塁打 0三塁打 56四球 84三振 出塁率.321 長打率.375 OPS.696 塁打数194 10併殺

2012年 メジャー10年目 タンパベイ・レイズ

2012年4月30日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだことが発表された。

5月1日にはマイナー契約としては異例の入団記者会見を行った。

AAA級ダーラム・ブルズでは途中、レッドソックス傘下3Aポータケットで調整登板を続けている松坂大輔との日本人対決が行われ、

結果は松坂が6回2/3を7安打5失点(自責点4)で、松井は3打数無安打( 一ゴロ、左飛、捕手の打撃妨害 )。試合はダーラムが5-0で勝った。

マイナーでは13試合で打率.170、0本塁打と調子が上がらなかった。

しかし、主力選手に故障者が相次いだチーム事情もあり29日にメジャー昇格。

背番号については、「55」は主力投手のマット・ムーアが付けていたため、「35」を付けることになり、プロ入り後初めて背番号が変わることになった。

昇格当日のホワイトソックス戦でフィリップ・ハンバーから1号2点本塁打、更に、6月1日のオリオールズ戦で陳偉殷から、観客席最上段に飛び込む2号2点本塁打を放ったが、それ以降は本塁打なし。

結果的に、この本塁打が現役最後の本塁打(MLB通算175号、NPB・MLB通算507号)となった。

長打も、6月9日のマーリンズ戦での二塁打を最後に出なくなった。

それでも監督のジョー・マドンは復調を信じ、また、エバン・ロンゴリアら主力が依然故障という事もあり、6月の時点で出ていたという戦力外の話については、「100打席打った結果で判断する」ことを決め、先発での起用を続けた。

6月には一塁の守備練習をしたり、大量ビハインド場面で投手としての救援登板を自ら志願する場面もあったが、外野手や指名打者、代打以外での出場機会はなかった。

7月1日のタイガース戦では、3打数2安打と活躍したものの、4番右翼で先発出場した翌日7月2日ヤンキース戦の右翼守備で、打球の目測を誤って落球した上、ファウルを追った際に左太もも裏を痛め、一度も打席に立つことなく途中交代を言い渡され、それ以降、出場機会は激減した。

結果的に、7月1日の第3打席が現役最後の安打(MLB通算1253本目、NPB・MLB通算2643本目)、7月2日が4番スタメンとして出場した現役最後の試合となった。

7月下旬に入ると、凡退の度に本拠地トロピカーナ・フィールドのファンから大きなブーイングが起こるようになった。

結局、7月19日のインディアンズ戦がスタメンで守備に就いた最後の試合(6番ライト)、7月22日のマリナーズ戦がスタメンとして出場した最後の試合(6番指名打者)、7月23日のマリナーズ戦が現役最後の出場試合(代打、ショートフライ)となった。

出場機会のなかった7月24日のオリオールズ戦試合後にマドン監督から戦力外を通告され、翌25日に球団からDFAが発表された。

8月1日には本人の希望により自由契約となり、他球団からのオファーを待ったが、ポストシーズン出場のための移籍期限となる8月31日までに獲得に動く球団はなかった。

結局、現役最終年となるこのシーズンは、出場34試合で打率.147、2本塁打、7打点、OPS.435という過去最低の成績に終わった。退団後は去就について「何も決めていない」としていた。

■成績

34試合 打率.147 2本塁打 7打点 7得点 14安打 1二塁打 0三塁打 8四球 23三振 出塁率.214 長打率.221 OPS.435 塁打数21 5併殺

2012年12月27日にニューヨーク市内のホテルで緊急記者会見を開き、2012年シーズン限りで現役を引退することを明らかにした。

引退を決断した理由として、「命がけでプレーし、メジャーで力を発揮するという気持ちで10年間やってきたが結果が出なくなった」と述べ、NPB復帰を選択しなかったことについては「10年前の日本での自分の活躍を想像するファンの期待に応える自信を持てなかった」と説明した。

一番思い出に残っていることは「たくさんある」としながらも、「長嶋監督と二人で素振りした時間」を挙げた。

自身の引退後については「ゆっくりしながら今後のことを考えたい」という姿勢を示した。

松井の引退を受け、数多くの球界関係者が談話を発表した。松井の恩師である長嶋茂雄は「現代で最高のホームランバッター」と賛辞を送った。

内閣官房長官の菅義偉や外務大臣の岸田文雄といった政府要人からも引退を惜しむコメントが寄せられた。松井の引退は日本国内での速報から間もなくして各国でも報じられ、メディアやファンから引退を惜しむ声が相次いだ。

ヤンキースでチームメイトだったデレク・ジーターは球団の公式サイト上で「ヒデキは特別な存在」と惜別の言葉を贈り、ヤンキースオーナーのハル・スタインブレナーも「ヤンキースの成功に大きく貢献し、常にヤンキースファミリーの一員として愛されるだろう」と称えた。

ヤンキース時代の監督のジョー・トーリは「松井の監督だったことを誇りに思う」と称えた。

ニューヨーク・タイムズ紙は2ページに渡って松井の引退に関する記事を掲載した。

まとめ

メジャーの扉を開拓したのが、野茂英雄です。

野手の扉を開拓したのはイチロー選手です。

そして全く異なるバッタータイプ、長打を持ったバッターで挑戦し成功したのが松井秀喜選手です。

正直なところ、日本時代とメジャー時代の選手像としては想像とは違ったかもしれません。

しかし、能力を発揮し活躍し認められ、一種の指数を示してくれた松井選手は偉大な方だと思います。

これからもメジャーに挑戦するバッターは数多く出てきますが、その挑戦にこれからも大きな貢献をしてくれる選手であると思います。

願わくば、完全に長打に特化した選手、または守備もバッティングも通用する日本人内野手が出てくることを楽しみにしております。

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