【両投げ投手】プロ野球 スイッチピッチャー歴代一覧

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スポーツ

日本プロ野球

選手名投球・打席ドラフト所属備考
近田豊年両投左打南海ホークス
1987年ドラフト外
南海ホークス
福岡ダイエーホークス (1988 – 1990)
阪神タイガース (1991)
日本プロ野球初のスイッチピッチャー

メジャーリーグ

選手名投球・打席ドラフト所属備考
ラリー・コーコラン右投左打シカゴ・ホワイトストッキングス(1880-1885年)
ニューヨーク・ジャイアンツ(1885年)
ワシントン・ナショナルズ(1886年)
インディアナポリス・フージャーズ(1887年)
利き腕は右手だったが、1884年6月10日にクリーブランドと対戦した試合で、初めて投げる腕の左右を変えて投球した。
また6月16日のバッファロー・バイソンズとの試合では、中継ぎとして登板した際に投げる腕の左右を変えながら4イニング登板したという記録も残している。
トニー・マレーン両投両打デトロイト・ウルバリンズ (1881)
ルイビル・エクリプス (1882)
セントルイス・ブラウンズ (1883)
トレド・ブルーストッキングス (1884)
シンシナティ・レッズ (1886 – 1893)
ボルチモア・オリオールズ (NL) (1893 – 1894)
クリーブランド・スパイダーズ (1894)
メジャーリーグ史上初めて、左右の腕で投げたという記録を持つ。
エルトン・チェンバレン右投右打ルイビル・カーネルズ(1886–1888)
セントルイス・ブラウンズ(1888–1890)
コロンバス・ソロンズ(1890)
フィラデルフィア・アスレチックス(1891)
シンシナティ・レッズ(1892–1894)
クリーブランド・スパイダーズ(1896)
1888年5月9日、カンザスシティ・カウボーイズとの対戦で、チェンバレンは7イニングを右利きで、最後の2イニングを左投げで投球した。
バート・キャンパネリス右投右打カンザスシティ・アスレチックス
1961年アマチュアFA
カンザスシティ・アスレチックス
オークランド・アスレチックス (1964 – 1976)
テキサス・レンジャーズ (1977 – 1979)
カリフォルニア・エンゼルス (1979 – 1981)
ベラクルス・イーグルス (1982)
ポサリカ・オイラーズ (1982)
ニューヨーク・ヤンキース (1983)
マイナー時代の1962年8月にフロリダステートリーグで投手として登板した時には左右投げを披露したスイッチピッチャー。
グレッグ・ハリス右投両打ニューヨーク・メッツ (1981)
シンシナティ・レッズ (1982 – 1983)
モントリオール・エクスポズ (1984)
サンディエゴ・パドレス (1984)
テキサス・レンジャーズ (1985 – 1987)
フィラデルフィア・フィリーズ (1988 – 1989)
ボストン・レッドソックス (1989 – 1994)
ニューヨーク・ヤンキース (1994)
モントリオール・エクスポズ (1995)
もともとは右投手のハリスは、1986年以来、左手でも試合で投げられる程度に上手く投げることができると感じていたが、その機会は与えられなかった。
ハリスにレギュラーシーズンの試合で左手で投げることが許されたのは1995年9月28日、最終登板の一つ前の試合であった。
この試合ハリスは左右両方にはめることのできる『6本指のグラブ』をして登板、この試合の9回、右打者のレジー・サンダースに対して右手で投げた後、続く2人の左打者、ハル・モリスとエディ・トーベンシーに対しては左手で投げた。モリスは歩かせたが、トーベンシーはゴロで打ち取った。次には右打者のブレット・ブーンを迎えたため右投げに戻し、イニングを終えた。試合後、使用した6本指のグラブはアメリカ野球殿堂に送られた。
パット・ベンディット両投両打ニューヨーク・ヤンキース
MLBドラフト20巡目(全体620位)
オークランド・アスレチックス (2015)
トロント・ブルージェイズ (2016)
シアトル・マリナーズ (2016)
ロサンゼルス・ドジャース (2018)
サンフランシスコ・ジャイアンツ (2019)
マイアミ・マーリンズ (2020)
3歳の頃、父親が両手を同じように使えることを見つけ、それからキャッチボールやアメリカンフットボールのパントなど、両手両足を平等に使わせる練習をさせた。
進学したクレイトン大学ではミズノ特製の6本指グラブを入手して、両手投げ投手として活躍した。
2021年10月、出身校であるクレイトン大学のスポーツ殿堂表彰を受けたことが報じられた際、既に引退していることが明らかにされた。同年3月のスプリングトレーニングでメジャー球団からの参加招待や契約提示がなく、5月頃に引退を決断したという。

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