【プロ野球】アメリカからNPBドラフトを経て日本プロ野球に入団した選手一覧

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アメリカからNPBドラフトを経て日本プロ野球に入団した選手一覧

選手名守備位置ドラフト年度順位指名球団備考
鈴木弘一塁手1971年15位ロッテオリオンズ1970年にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約。鈴木はメジャーリーグの球団と契約した日本人野手第1号となった。
大越基投手1992年1位福岡ダイエーホークス大学を退学後、ダン野村がオーナーだったカリフォルニアリーグのサリナス・スパーズ(1Aアドバンス)に入団。11試合に登板し、1勝1敗の成績だった。
吉田好太二塁手・遊撃手1998年8位近鉄バファローズ高校卒業後、オークランド・アスレチックス傘下のアリゾナリーグ・アスレチックスでプレー。
金谷剛捕手2000年6位近鉄バファローズ高校時代は無名であったが、卒業後単身渡米してフロリダのベースボールアカデミーで力をつけた。1999年には持ち味のパワーを認められ、ボストン・レッドソックス傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッドソックスと契約し、打率3割1分3厘と好成績を残した。
辻田摂一塁手2000年8位中日ドラゴンズ高校卒業後は東洋大学に進学したが中退し、テレビ東京系「ASAYAN」の大リーガーオーディションで渡米、タンパベイ・デビルレイズのガルフ・コーストリーグのマイナーチームでプレー。
鈴木誠投手2002年2位オリックス・ブルーウェーブ高校を中退しアメリカに野球留学。1Aサリナスに練習生として参加。
日本プロ野球を経験しないでメジャーリーグ入りを果たした初の選手。
メジャー通算成績117試合登板、防御率5.72、16勝31敗
井戸伸年外野手2002年9位大阪近鉄バファローズ大学卒業後、社会人野球の住友金属に入部。ルーキーながら主軸として日本選手権に出場し活躍。1999年にチームが解散したため、住友金属鹿島に転籍。都市対抗野球大会でベスト4に進出し優秀選手賞を受賞するが、2001年に退部。
翌2002年に大リーグのシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約する。ルーキーリーグに出場するが、上には上がれずに、同年10月に帰国。
佐藤隆彦外野手・一塁手・捕手2003年7位西武ライオンズ大学卒業後、マイナーリーグ・フィラデルフィア・フィリーズ1Aに入団。大学時代から引き続き内野手としてプレーしていたが、フィリーズ1Aで強肩を見込まれ捕手にコンバートされた。
竹岡和宏投手2003年8位福岡ダイエーホークス2000年秋にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結ぶ。2001年、2Aグリーンビルからキャリアをスタート。2002年には3Aリッチモンドに昇格を果たすが、シーズン途中で再び2Aグリーンビルに降格。その後、独立リーグへ移籍した。
マイケル中村投手2004年4位北海道日本ハムファイターズ奈良県で生まれ、3歳の時にオーストラリアに渡り、その後MLB入りを目指し渡米。1998年、大学卒業と同時に大リーグのミネソタ・ツインズと契約を結びA級フロリダ・ステート・リーグでデビューを飾る。2003年にはメジャーデビューを飾り、その翌年もブルージェイズでプレー。
飯田宏行投手2005年5位広島東洋カープ大学卒業後に渡米し、2003年にミネソタ・ツインズとマイナー契約。18試合に登板し1勝。2004年に傘下1Aに所属するも右肩を故障。2005年は登板機会がなく、3月に解雇された。
山口鉄也投手2005年育成1位読売ジャイアンツ高校卒業後は国士舘大学に進学する意向だったが、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのスカウトから誘いを受け、入団テストに合格しマイナー契約を結んだ。
2002年から2005年まで、ダイヤモンドバックス傘下ルーキー級ミズーラ・オスプレイで4年間プレーしたが、シングルAにすら一度も昇格できなかったため帰国を決意。マイナーリーグでの通算成績は、49試合に登板して、7勝13敗、防御率4.98。
多田野数人投手2007年大学社会人1位北海道日本ハムファイターズ東京六大学野球リーグ屈指の右腕投手と高く評価され、2002年度のドラフト会議での上位指名は確実と見られていたが、スキャンダルにより日本球界での指名を受けることなく渡米した。
コロラド・ロッキーズとアリゾナ・ダイヤモンドバックスの入団テストを受けるも獲得は見送られていたが、クリーブランド・インディアンスの入団テストに合格し、マイナー契約を結んだ。
2003年はAからスタートし、シーズンは3Aまで昇格した。
2004年4月24日には日本人21人目のメジャー昇格を果たし、同月27日にシカゴ・ホワイトソックス戦で初登板、メジャーデビューを果たした。日本でのプロ球界を経ることなくメジャー昇格した日本人選手は、マック鈴木に続き2人目である。7月2日のシンシナティ・レッズ戦ではメジャー初先発・初勝利を挙げた。
2005年シーズンまでの2年間で主に中継ぎとしてメジャー15試合に登板した。2006年4月1日付でインディアンスから戦力外通告を受けた。2006年4月4日にはオークランド・アスレチックスとマイナー契約を結ぶ。同年のシーズン終了後には一時的に日本へ戻り、アスレチックスに所属したまま、9月22日から10月12日まで四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスにスポット参戦した。
2007年も引き続きアスレチックスとマイナー契約。AAとAAAで19試合に登板し、8勝7敗、防御率4.86、奪三振133の成績を残すとともにAAAサクラメント・リバーキャッツがパシフィックコーストリーグで優勝した時の胴上げ投手ともなったが、10月17日に解雇された。アスレチックスに所属した2年間でのメジャー復帰は叶わなかった。

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